「常識とは18歳までに身に付けた偏見のコレクションである」
と,かの有名なアインシュタインは言っていましたが,
みなさんにとって
当たり前とは何でしょうか?
これは先ほど来る予定だった子が来れなくなってしまったので,
やった所を送ってきた写真です。
1問以外出来ていたので,
「おーよく出来てるじゃん。」
と送ったら,
「当たり前です。」
と返ってきました。
彼女にとってこれくらい
当たり前の出来だそうです(笑)
新中1が始まって3週間ですが,
早くもノートを3~5冊使い切る子が現れ始めました。
凄い勢いで
勉強しているので,
他の塾の方が聞いてビックリしていました。
しかし今日の教室での
子供たちの会話は,
「え?みんなもうノート使い切ってるの!?」
「あれだけの宿題やったら無くなるっしょ。」
「え!?俺まだ1冊目だよ…」
「それヤバくね?どっか宿題やってないんじゃない?」
まだ中学に上がってもいませんが,
早くも宿題はやるものだという意識,
ちゃんとやれば
ノートは減るという意識はついてきたようです。
また,
受験が終わり高校入学を待つ子供たち。
聞くところによると,
PHIをやめていった子の半分程はさっさと入学前の
課題に取り組んでいるようですが,
残り半分の子は全く手を付けていないそうです。
もちろん
そのまま継続してPHIに残った子は課題をもらってきたその日から,みんなさっさと取り組んでいます。
結果論かも知れませんが,
受験のための勉強ではなかった子達が合格し,
受験終了後もPHIに残ったようにも見えます。
かと思えば,
丸付けすらして来ない子も。。。
まぁこの子は
PHIに入ったばかりでまだ流れが掴めていないという事もありますが。
さて,このように
「当たり前」は
人や状況によって異なります。
そしてこの
「当たり前」が「当たり前」になった途端,
子供がストレスから解放されるという不思議。
先ほどの上記の発言や行動,
これらは強制的に言わせたものでもやらせたものでもありません。
勝手にやって,勝手に言っているのです。
やっている時は負担も大きく大変かも知れませんが,
だからと言って
やらないという選択肢は彼らの中に最初からないのです。
やるのは大変でも,
やらされているという
ストレスはない。
結果的にやるのが当たり前という意識が根付いていくのです。
逆に言えば,
やらされている内は当たり前になりにくいという事です。
どうしてもやらされているという
ストレスを受けたり,
逃げようとする気持ちが働いてしまいますからね。
新学期が始まると,色々な事が変わって生活が一変していきます。
そうなる前に,少しでも「当たり前」を作っておくと,
新学期が楽にスタートできますよ(^^)/
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テーマ : 中学受験
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